「学生感が抜けないね」
現場で、そんな言葉を聞くことがあります。
それはたいてい、責任感のない行動をしたときです。自分の行動が周りにどう影響するのか、わかっていない。誰かに任せたまま、自分では動こうとしない。そんな姿を見て、周りは「まだ学生気分が抜けていない」と感じます。
研修に参加する姿勢、人の話の聞き方、報告の仕方。きっと、いろいろな場面が浮かぶと思います。
でも、正直に言うと、私はそれを人に指摘できるほど、立派な学生だったわけではありません。
学生だった頃の私には、責任感という言葉が自分の中にありませんでした。言葉としては知っているけれど、それが自分の行動とどう結びつくのか、わかっていなかったのです。
授業中に居眠りもしていました。勉強は、試験に受かるため、卒業するためのものでした。目の前にある教科書と、これから働く現場が、つながっていなかったのだと思います。
先日、看護学校で講義をさせてもらう機会がありました。
学生たちは、はっきり二つに分かれていました。一生懸命に話を聞く人と、いつの間にか眠っている人です。
看護学生に講義をするようになって、10年以上になります。最近、眠っている学生を見ると、「もったいないな」と思います。
何がもったいないのか。
時間だったり、授業料だったり、誰かから学べる機会だったり。今ここにあるものの貴重さに、まだ気づいていないのかもしれません。
でも、それも「あり」なのだと思います。
なぜなら、「もったいない」と言えるのは、これまでの時間を振り返ることができる、今の私だからです。あの頃の私には、その価値がまだわかりませんでした。
自分が動き出す時期は、人それぞれです。早い人もいれば、遅い人もいます。みんなが同じタイミングで動き出す必要はありません。
私自身、動き出すのは遅い方でした。
あのときの私には、わからなかった。それもまた、事実です。
わからないまま座っていた時間があり、目の前のことと看護がつながらない時期がありました。その時間も含めて、今の自分があるのだと思います。
だから、今、居眠りをしている学生を、その姿だけで責める気にはなれません。今は動けていないからといって、その人がずっと動けないとは限らないからです。
ただし、患者さんを引き受ける現場では、「まだ自分の時期ではない」では済まされません。
看護師になると、自分の行動には責任が伴います。人任せにしたことが、患者さんや周りの看護師に影響することもあります。
わからないなら確認する。できないなら助けを求める。任されたことを、最後まで引き受ける。
看護師になった以上、気持ちの準備が整うまで待ってもらえるわけではありません。
自信がなくても、まだ自覚が足りないと感じていても、まずは動かなければならないときがあります。そして、行動する中で初めて、自分が引き受けているものの重さに気づくこともあります。
責任感があるから動けるとは限りません。
動くこと、任されること、失敗すること、誰かに助けを求めること。そうした経験を重ねるうちに、少しずつ責任感が育っていく人もいます。
学生から看護師へ変わる境目は、国家試験に合格し、看護師免許を取得した日だけではないのかもしれません。
自分の行動の先に患者さんがいると気づいたとき。わからないことを、そのままにできなくなったとき。任されたことを、自分のこととして引き受けようとしたとき。
人は少しずつ、看護師になっていくのだと思います。
勉強にも、ゴールはありません。
「ここまでやればいい」という地点は、どこにもありません。ゴールが見えてから動き出すのではなく、動き出すから、少しずつ自分の目指す場所が見えてきます。
自分が看護師で「あろう」とし始めたとき、人は自分から学び始めます。わからないことが気になり、誰かに教えを求めるようになります。
そのきっかけは、誰かに与えてもらえるものではありません。自分の中からしか生まれないのだと思います。
けれど、待っていれば生まれるものでもありません。ここでも順番は逆で、動いたことが、そのきっかけをつくります。
学生感が抜けていないからといって、それだけで終わりではありません。
今の姿だけで、その人のこれからまで決めつける必要はないと思います。
私がそうだったように、遅れて動き出す人もいます。
看護師になったから、すぐに看護師になれるわけではありません。
それでも、患者さんを引き受けながら、目の前のことから逃げずに動き続ける。その積み重ねの中で、人は学生から看護師へ変わっていくのだと思います。
わたしは、看護が好きです。
だからこそ、看護の価値を問い続けていたいと思っています。
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