看護のはじまりって、何だと思いますか?
看護の始まりは、気づくことからです。 気づくことが大切だと分かったとき、 もう、その人は看護師でした。
この看護師さんは、本当によく気づく人だな。
この人は、私の変化によく気づいてくれる人だな。
そんなふうに感じることがあります。
あなたの周りにもいませんか。
ほんの少しの変化に気づき、
それを、さりげなく言葉にしてくれる人。
気づきというのは、誰もが自然に持っている力なのでしょうか。
患者さんから、
「あなたを待っていた。あなたに聞きたかった。自分の今の病気のことを教えてほしいから」
と声をかけてもらうことがあります。
たくさん看護師がいるのに、なぜ私を待っていてくれるのでしょう。
同じユニホームを着て、マスク姿の今の時代に、
看護師を見分けることは、決して簡単ではないはずです。
もし、私が患者さんだったら、
どんな看護師に声をかけるでしょう。
私のことを気にかけてくれる人。
見てくれていると感じさせてくれる人。
存在を認めてくれる人。
――それが、気づいてくれる人なのかもしれません。
私には、習慣があります。
日勤で出勤したとき、最初にする仕事は患者さんの部屋を回ることです。
ICUなので、個室の数は限られています。
一人ひとりの部屋を訪れ、患者さんの様子と治療経過を大まかに見ます。
けれど、本当に見たいのはカルテではなく、
患者さん自身です。
顔色、表情、姿勢、息づかい。
はじめて出会う患者さんも、
数日から数週間をここで過ごしている患者さんも、
それぞれに背景があります。
「今日は昨日より顔色がいいですね」
「身体に力が入っていますね。何かしんどいですか」
「よく眠れた表情ですね」
「もうすぐ朝食ですが、今日は食べられそうですか」
その人に合わせた、ほんの少しの会話を交わします。
もちろん、意識がなく会話ができない患者さんもいます。
それでも様子を見ながら、
「おはようございます」と声をかける。
ただ、それだけのやり取りもあります。
――変化を見ています。
今の状態を見ています。
患者さんを見ていると、
何も気づかないということは、ほとんどありません。
何かしらの気づきは、必ずそこにあります。
でも、私は思うのです。
見るから気づく。そして、見ようとしなければ、気づくことはできない。
見ようとする力は、
看護師の患者さんへの思いなのではないでしょうか。
たとえば、親が子どもの変化に気づくのは、
その子どもが大切だからです。
すべての子どもではなく、
自分の大切な存在だからこそ、気づくことができる。
関心を向けている相手だから、
気づきにつながっていく。
看護師である私にとって、
患者さんは、守りたい人、
何とかしたいと願う人たちです。
気づくことは、誰にでもできることだと思いますか。
私は、看護師としてその場に立っているなら、誰にでもできることだと思っています。
よく気づく看護師は、
きっと、あなたのことをよく見てくれている人です。
そして、もし――
あなたが、誰かに気づける人であるなら。
そのとき、
あなたはもう、看護師なのだと。
私は、そう思います。


