「生きる」と看護師|死に向き合う仕事で考えたこと

エッセイ「『生きる』と看護師」のアイキャッチ。オレンジと青が混ざる背景に、白い服を着た長い髪の象の女の子が、片手を前に差しのべている。手前にはレントゲン写真や心電図の紙が置かれている。左側に文字「『生きる』と看護師」。 🌿看護観・エッセイ

“生きる”には、
自分を生き抜くための“生きる”と、
身体を生き抜くための“生きる”があると、わたしは思っています。

身体の“生きる”についてわたしが感じていることは、
身体は、想像以上の力で生きようとしているということです。

頑張っている身体を、見たことはありますか。

アスリートを見ていると、心身ともに限界まで出し切っている状態だと感じます。
でも、病気の人の「頑張っている身体」は、それとは少し違うように思うのです。

病気の人は、
自分の意思で休むことのできない身体の頑張りの中にいます。
そして心も、簡単には休めません。

看護師の言葉で言うなら、
「身体の状態が悪い → しんどい → すごく頑張っている」
そんなふうに表現することが多いのではないでしょうか。

少なくとも、わたしはそうでした。

どれだけ頑張っている患者さんを見てきただろう。
どれだけ無力感を感じてきただろう。

以前のわたしは、
心の“生きる”を支えることはできても、
身体の“生きる”は、看護師にはどうにもできないと、どこかで思っていました。

でも、本当にそうなのか。
何もできないのか。
わたしは、できることをすべてやっているのか。

そう自分に問い続け、行動しました。

今のわたしが、あの頃のわたしに問いかけるなら、こう言います。

「“しんどそう”って、何を観てそう思っているの?」

わたしは、身体を観ている“つもり”でした。
患者さんの一番そばにいながら、どこか外にいたのかもしれません。

“しんどそう”には、必ず根拠があります。
呼吸の仕方、意識の変化、皮膚の色。
そこには必ず身体からのサインがあります。

そのサインを丁寧に観ることができれば、
それが安全な領域なのか、危険な領域なのかも、少しずつ分かるようになります。

そして、緩和できることは、看護師にもある。

身体をちゃんと観るために、わたしは勉強をしました。
不思議なことに、今は身体の見方を看護師に伝える立場になっています。

できないと思っていた頃のわたしは、
もしかしたら、自分を守っていたのかもしれません。

でも、守るべきものが患者さんだと気づいたとき、
わたしは動き始めました。

わたしは、看護師にしかできない守り方や助け方があると信じています。

生きることを支える。
それが、看護の役割のひとつだと思っています。

そしてもうひとつ。
身体だけでなく、心の“生きる”を支えることも、同じくらい大切にしているのが看護師なのだと感じています。

生きるを支えるということは、
その人の身体と心の両方に責任を持つということなのかもしれません。

今も、迷うことはあります。
それでもわたしは、身体から目を逸らさない看護師でありたい。

看護師の役割って、なんだと思いますか。

わたしは、看護が好きです。
だからこそ、看護の価値を問い続けていたいと思っています。

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