「言葉にされない看護を言語化する」
優しい看護師になりたい。
そう思ったことはありませんか。
でも、優しさとは何なのか、
ふと立ち止まる瞬間があります。
優しいという言葉の中にある看護について、
少しずつ言葉にしてみます。
優しい看護師とは何か
やさしい看護師さんになりたい。
そう思ったことはありますか。
看護師になったとき、
多くの人が一度は思うことかもしれません。
わたしも、その一人でした。
多くの看護師が一度は抱く疑問
優しい看護師になりたいと思ったのは、
優しさが患者さんのためになると思っていたからです。
そして、看護師という仕事は、優しい人がするものだと思っていたからです。
臨床に携わっている人なら、
一度は感じたことがあるかもしれません。
「自分は優しくない」と。
経験年数がまだ少ない頃、
わたしはいつも何かに追われていました。
点滴に追われる自分
ケアに追われる自分
検温に追われる自分
病気から出た言葉かもしれないのに、
患者さんの言葉に勝手に傷つく自分。
ナースコールとの終わらないやり取り。
経験年数を重ねると、
今度は別の現実に出会います。
現実を見て患者さんに伝える自分
身体拘束を選ばなければならない自分
苦しい患者さんに、何もできない自分
医師の言葉を受け取るしかない自分
患者さんや家族から
「優しい看護師さんですね」
「笑顔が素敵ですね」
そう言われることがあっても、
素直に受け取ることができませんでした。
自分は何もできていない。
本当の意味で助けられていない。
優しいって何だろう。
わたしは、なぜ優しい看護師になろうとしていたんだろう。
優しさが誤解されやすい理由
一般的に「優しい看護師」と聞いて思い浮かぶのは、
こんな姿かもしれません。
・断らない
・患者の希望をすべて受け入れる
・感情的に寄り添う
患者さんの療養生活が、
できるだけ苦しくないように。
つらくないように。
必要なときに、必要な手を差し伸べる。
看護師は、
助けてもらえる存在であり、
元気を分けてくれる存在。
そんなイメージが、
「優しい看護師像」なのかもしれません。
でも、本当に苦しいとき。
本当に危険なとき。
本当に助けてほしいとき。
患者さんは、
どんな看護師にそばにいてほしいのでしょうか。
呼吸不全の患者さんと向き合ったとき
呼吸不全の患者さんをたくさん見てきました。
息が吸えない。
それでも患者さんは、話そうとします。
動こうとします。
「暑い」と言いながら体を起こそうとします。
低酸素になればなるほど、静止がきかなくなります。
「大丈夫なわけがない」
そう思いながら、背中をさすっていました。
昔のわたしは
「大丈夫ですよ」
「ゆっくり息してください」
「酸素していますからね」
そう声をかけて、
背中をさすることしかできませんでした。
患者さんの息苦しさは、
とれるはずもありません。
分かるからこそ、
私が何にも助けになっていない現実を
受けとめるしかありませんでした。
息苦しさそのものを消してしまう薬はありません。
このことを理解するまで、私は時間がかかりました。
でも今なら、
何が息苦しさの原因か、
どうすれば対処できるのか。
医師へ機械の選択や薬剤を提案することが
できるようになりました。
人としての優しさと、
看護師としての優しさ。
それは、同じものではないのかもしれない。
そう思うようになってから、
看護師が持つべき優しさの意味を
考えるようになりました。
優しいだけでは守れない理由
わたしは、患者さんの何を守ろうとしているのだろう。
あなたも、
こんな経験はありませんか。
そう考えたとき、
「優しいだけでは守れない」
と思うようになりました。
優しさだけでは判断が揺らぐことがある
患者さんとの関係は、
人と人との関係です。
そこには、
さまざまな感情が生まれます。
患者さんには、
自分の身体のことを理解してほしい。
患者さんが一番、
自分の身体を分かっているはず。
そう思いながらも、
何が正解なのか分からなくなることがあります。
何が患者さんにとって良いのか。
どこまで関わるべきなのか。
迷い続けることがあります。
患者さん以上に、
患者さんの身体の状態を知っているからこそ、
どうしたらいいのか分からなくなる。
それが、葛藤なのかもしれません。
葛藤のなかで見えてくるもの
集中治療室では、
一日のなかで何度も問い直します。
「これが患者さんにとって良いのか」
苦しい治療でも、
必要なら行わなければならないことがあります。
本気で助けたいからこそ、
言わなければいけないことがあります。
本気で守りたいからこそ、
知識や技術がなければ守れない。
自分の未熟さや、
思いがけない真剣さに向き合いながら、
優しさとは何かを、
考え続けてきました。
看護における「優しさの土台」
知識という土台
知識は、看護の土台です。
・病態理解
・ケアの根拠
・状況判断
看護職の倫理綱領には
このような一文があります。
「看護職は、常に個人の責任として
継続学習による能力の開発・維持・向上に努める。」
看護職である以上、
当たり前のことかもしれません。
でも、経験を重ねるほど
この言葉の重みは変わってきました。
今、目の前で起きている状態は何なのか。
どのケアを、どのタイミングで行うのか。
そもそも行うべきなのか。
その意味を理解していなければ、
良かれと思ったことが
患者さんの負担になることもあります。
知識という土台がなければ、
何が安全で何が危険なのか
判断することはできません。
責任という芯
責任とは、
看護師だけのものではありません。
どんな職業にもある、
大切な芯のようなものだと思います。
あのときの気づき
あのときの言葉
あのときの行動
その一つが、
未来を変えることがあります。
マニュアルで決められていることでも、
それを守れる自分なのか。
その意味を理解しているのか。
看護では、
それが患者さんの命につながることもあります。
優しい看護師の正体
“優しい”という言葉の意味を
自分で決めること。
それが、
看護のなかで大切なのかもしれません。
優しさは感情ではなく「構造」
優しさは、
感情だけでは成り立ちません。
・知識
・責任
・その上に乗る優しさ
優しさとは、
積み重ねられたものの上に生まれるもの。
分厚いもののように感じています。
そこにいるだけで安心できる人。
言葉の選び方で守られていると感じる人。
すべてを手伝うのではなく、
必要なときに手を差し出せる人。
そんな人たちを、
わたしはたくさん見てきました。
患者さんにも、
看護師にも。
だからこそ優しさは強さでもある
優しさとは、
感情に流されることではありません。
感情を持ちながら、
流されないこと。
患者さんを守る判断をすること。
迷いながらも考え続けること。
現場で続けていく姿勢。
看護の優しさとは、
すべてに手を差し伸べることではないのかもしれません。
必要なときには厳しい言葉を伝えること。
手を出さないことで、できることを増やすこと。
良いことも、悪いことも、患者さんが理解できるように伝えること。
そうやって、人の「生きる」に向き合うこと。
優しさは、
患者に好かれることではないのかもしれません。
あなたにとって、
優しい看護とは何でしょうか。


