「今、この時間は患者さんと私の時間が流れている」
そんなふうに感じたことはありますか。
その時間は、患者さんだけでなく、
看護師である私にとっても必要な時間なのではないかと思っています。
看護の現場は、毎日あわただしい。
「事故が起きなくてよかった」「何もなく終われてよかった」
それが合言葉のようになる日もあります。
けれど、何も起きていない日に、 何も残っていないと感じてしまうことはないですか。
私はこれまで、急性期病院で働いてきました。 一般病棟、救命救急センター、集中治療室。 場所が変わっても、忙しさの質が違います。でも、どの部署にも共通していることがありました。
それは、ふと訪れる静かな時間があるということです。
私が言う静かな時間とは、 時間的にも環境的にも心にも、 少し余白がある状態で、患者さんの話を聴ける時間のことです。不思議に思うかもしれませんが、救命救急センターでもそんな時間がありました。もしその時間があるなら、とても貴重だと思うんですね。
先日、手術を終えた患者さんが涙を流していました。
安心なのか、不安なのか。
涙の意味を決めつけることはできません。
マスクに隠れていても、目には涙が浮かんでいました。
何かあるのだろうと思いながら、私は待ちました。
初対面の看護師に、自分のことを話してもいいって思うには、時間が必要でした。
術後の状態を見守りながら、自然に会話をしていると、
その方は病気のことを話し始めました。
癌の発覚が急だったこと。
手術までの葛藤。
今も抱えている不安。
そして、これまで何を大事に生きてきたのか。
カルテからわかることは限られています。
けれど、その人の言葉からしかわからない時間があります。
術後まだ数時間。
身体への負担を考えながらも、
今は話を止めないほうがいいと判断しました。
今、この時間が必要なのだと感じたからです。
一生懸命に自分のことを話す姿を前にすると、 涙が出てきます。
かわいそうだからではありません。
ただ、その人が一生懸命に生きて時間を感じるからです。
一時間ほど経った頃、
その方はようやく笑顔になりました。
「やっと誰にも言えなかったことが言えました。ありがとう。」
ただ、そばで話をき聴かせてもらいました。
看護には「傾聴」という言葉があります。
傾聴とは、相手の言葉だけでなく、
その背景にある思いや感情まで理解しようとする姿勢で聴くことだと、私は考えています。
声のトーン、間、沈黙、視線。
言葉にならないものも含めて受け取ろうとすること。
問題をすぐに解決するためではなく、
その人の今に立ち会うための姿勢。
今回の時間は、まさにその時間でした。
この静かな対話の時間は、
看護師を続けていくうえで、私にとって大切な時間です。
「今、この時間は患者さんと私の時間が流れている」
そんな時間を過ごしたことがありますか。
重症でもなく、緊急でもない時間。
そしてそれは、
患者さんだけでなく、看護師である私たちにも必要な時間なのかもしれません。


