気づくという仕事

🌿看護の土台

“気づく”とは何でしょうか。

ここでいう“気づく”とは、身体の変化や心の変化への“気づき”です。

仕事中、ナースステーションでパソコンの前に座っていると、患者さんの各部屋から、たくさんの音が聞こえてきます。

モニターの音やアラーム音。
医療機器の作動音。
医療者の声や足音。
医療廃棄物ボックスの蓋が閉まる音。
洗浄機の音。
パソコンのキーボードを打つ音。

とにかく、たくさんの音の中に私はいます。

その中に、患者さんの音が混ざっています。

患者さんの身体から出る音。
そして、患者さん自身が意識的に出す音。

たとえば、咳。
吐き気。
呼吸の音。
苦痛の声。

呼ぶ声や、ベッドを揺らす音。
ナースコールも、音のひとつかもしれません。

看護記録を書きながら、

「あれ、咳が水っぽいな」
「あのアラームが繰り返し鳴っている」
「静かすぎる」

私は、気づいたことを言葉にします。
独り言のように。

そして、それを確かめるために患者さんのもとへ行きます。

看護師の行動として、当たり前だと思いますか。

患者さんが安全かどうか。
そこに危険はないか。

異常を早期に発見するのは、看護師の大事な役割です。

でも、その行動の前にあるのが、“気づく”なのだと思うのです。

いつもと違う。
何かおかしい。

この感覚の感度は、みんな同じようで、同じではありません。

私は、ちゃんと音が拾えているだろうか。
私は、臨床に必要な感度が、研ぎ澄まされているだろうか。

気づくとは何だろう。
気づかないとは何だろう。

同じ場面にいても、同じところに気づく人もいれば、違うところに気づく人もいる。
まったく気づいていない場合もある。

私は、何度も考えてきました。

私の“気づき”の元にあるのは、気づかなかったことで後悔した経験だと思います。

一度ではありません。

何度も何度も、

「なぜ気づかなかったの?」
「本当に気づいていなかったの?」

そう問い続けてきました。

後悔を語りたいのではありません。

それがあったからこそ、気づくことの感度を上げ続けることを、やめませんでした。

だって、看護は気づくことから始まる。

そう、確信しているからです。

気づく力は、経験の数ではなく、問い続けた回数で育つのかもしれません。

あなたにとって、気づくとは何ですか。