“気づく”とは何でしょうか。
ここでいう“気づく”とは、身体の変化や心の変化への“気づき”です。
仕事中、ナースステーションでパソコンの前に座っていると、患者さんの各部屋から、たくさんの音が聞こえてきます。
モニターの音やアラーム音。
医療機器の作動音。
医療者の声や足音。
医療廃棄物ボックスの蓋が閉まる音。
洗浄機の音。
パソコンのキーボードを打つ音。
とにかく、たくさんの音の中に私はいます。
その中に、患者さんの音が混ざっています。
患者さんの身体から出る音。
そして、患者さん自身が意識的に出す音。
たとえば、咳。
吐き気。
呼吸の音。
苦痛の声。
呼ぶ声や、ベッドを揺らす音。
ナースコールも、音のひとつかもしれません。
看護記録を書きながら、
「あれ、咳が水っぽいな」
「あのアラームが繰り返し鳴っている」
「静かすぎる」
私は、気づいたことを言葉にします。
独り言のように。
そして、それを確かめるために患者さんのもとへ行きます。
看護師の行動として、当たり前だと思いますか。
患者さんが安全かどうか。
そこに危険はないか。
異常を早期に発見するのは、看護師の大事な役割です。
でも、その行動の前にあるのが、“気づく”なのだと思うのです。
いつもと違う。
何かおかしい。
この感覚の感度は、みんな同じようで、同じではありません。
私は、ちゃんと音が拾えているだろうか。
私は、臨床に必要な感度が、研ぎ澄まされているだろうか。
気づくとは何だろう。
気づかないとは何だろう。
同じ場面にいても、同じところに気づく人もいれば、違うところに気づく人もいる。
まったく気づいていない場合もある。
私は、何度も考えてきました。
私の“気づき”の元にあるのは、気づかなかったことで後悔した経験だと思います。
一度ではありません。
何度も何度も、
「なぜ気づかなかったの?」
「本当に気づいていなかったの?」
そう問い続けてきました。
後悔を語りたいのではありません。
それがあったからこそ、気づくことの感度を上げ続けることを、やめませんでした。
だって、看護は気づくことから始まる。
そう、確信しているからです。
気づく力は、経験の数ではなく、問い続けた回数で育つのかもしれません。
あなたにとって、気づくとは何ですか。


