「気づける看護師」になる人の共通点

🌿看護の土台

看護のはじまりって、何だと思いますか?

看護の始まりは、気づくことからです。 気づくことが大切だと分かったとき、 もう、その人は看護師でした。

この看護師さんは、本当によく気づく人だな。
この人は、私の変化によく気づいてくれる人だな。

そんなふうに感じることがあります。
あなたの周りにもいませんか。
ほんの少しの変化に気づき、
それを、さりげなく言葉にしてくれる人。

気づきというのは、誰もが自然に持っている力なのでしょうか。

患者さんから、
「あなたを待っていた。あなたに聞きたかった。自分の今の病気のことを教えてほしいから」
と声をかけてもらうことがあります。

たくさん看護師がいるのに、なぜ私を待っていてくれるのでしょう。
同じユニホームを着て、マスク姿の今の時代に、
看護師を見分けることは、決して簡単ではないはずです。

もし、私が患者さんだったら、
どんな看護師に声をかけるでしょう。

私のことを気にかけてくれる人。
見てくれていると感じさせてくれる人。
存在を認めてくれる人。

――それが、気づいてくれる人なのかもしれません。

私には、習慣があります。
日勤で出勤したとき、最初にする仕事は患者さんの部屋を回ることです。

ICUなので、個室の数は限られています。
一人ひとりの部屋を訪れ、患者さんの様子と治療経過を大まかに見ます。

けれど、本当に見たいのはカルテではなく、
患者さん自身です。

顔色、表情、姿勢、息づかい。

はじめて出会う患者さんも、
数日から数週間をここで過ごしている患者さんも、
それぞれに背景があります。

「今日は昨日より顔色がいいですね」
「身体に力が入っていますね。何かしんどいですか」
「よく眠れた表情ですね」
「もうすぐ朝食ですが、今日は食べられそうですか」

その人に合わせた、ほんの少しの会話を交わします。

もちろん、意識がなく会話ができない患者さんもいます。

それでも様子を見ながら、
「おはようございます」と声をかける。

ただ、それだけのやり取りもあります。

――変化を見ています。
今の状態を見ています。

患者さんを見ていると、
何も気づかないということは、ほとんどありません。

何かしらの気づきは、必ずそこにあります。

でも、私は思うのです。

見るから気づく。そして、見ようとしなければ、気づくことはできない。

見ようとする力は、
看護師の患者さんへの思いなのではないでしょうか。

たとえば、親が子どもの変化に気づくのは、
その子どもが大切だからです。

すべての子どもではなく、
自分の大切な存在だからこそ、気づくことができる。

関心を向けている相手だから、
気づきにつながっていく。

看護師である私にとって、
患者さんは、守りたい人、
何とかしたいと願う人たちです。

気づくことは、誰にでもできることだと思いますか。

私は、看護師としてその場に立っているなら、誰にでもできることだと思っています。

よく気づく看護師は、

きっと、あなたのことをよく見てくれている人です。

そして、もし――

あなたが、誰かに気づける人であるなら。

そのとき、

あなたはもう、看護師なのだと。

私は、そう思います。