食事の時間に私が見ているもの

🌿看護の余韻

問います。
食事の時間に、あなたは何を見ていますか。

患者さんの食事姿を見ながら、食事介助をしながら、
私は何度「おいしい?」と声をかけてきただろう。

当たり前の言葉でした。
けれど、ふっと立ち止まった瞬間があります。

同僚が言いました。
「“おいしい?”って患者さんに聞くところが、看護師さんだね」と。

ここは急性期病院です。
その言葉を聞いて、周りを見渡しました。
すると、「おいしい?」と声をかけている看護師がいないことに気づきました。

食事とは何だろう。
なぜ、私は「おいしい?」と問うのだろう。

何を知りたくて、
何に気づきたくて、
その言葉をかけているのだろう。

日常の中で、誰かが嬉しそうに、美味しそうに食べている姿を見ると、
私はとても嬉しくなります。
それと同じなのでしょうか。
それとも、少し違うのでしょうか。

患者さんには、治療の中で“転機”があります。
専門的に言えば、異化より同化が進む時期。
わかりやすく言えば、快方に向かい始める瞬間です。

患者さんのそばにいるとき、
私はいつも“看護師でいること”を意識しています。

気を抜けば、ただの“わたし”になってしまう。
だから「おいしい?」という問いの奥には、
看護師として知りたい何かがあるのだと思います。

長く看護をしていると、発見があります。
教科書に書いてあるのかもしれません。
けれど、目の前で見てきた実感があります。

食事が“治療”ではなく、“おいしい”と感じられるようになったとき、
そこに生きる力が戻ってくる。

「おいしい?」で知りたかったのは、
今この瞬間の、その人の力でした。

食べることは治療。
食べることは回復。
食べることは、生きること。

けれど私は、こうも思います。

“食べる”のはじまりは、
“食べたい”ではないのかもしれない。

食べ物を、食べ物だと認識できること。
それが、はじまりなのではないかと。

そこに気づいたとき、
当たり前が当たり前でないことが、自然にわかるのかもしれません。

食事の時間に、私が見ているもの。
それは、今この瞬間の患者さんの「生きる力」でした。

あなたは、食事の時間に、何を見ていますか。