問います。
食事の時間に、あなたは何を見ていますか。
患者さんの食事姿を見ながら、食事介助をしながら、
私は何度「おいしい?」と声をかけてきただろう。
当たり前の言葉でした。
けれど、ふっと立ち止まった瞬間があります。
同僚が言いました。
「“おいしい?”って患者さんに聞くところが、看護師さんだね」と。
ここは急性期病院です。
その言葉を聞いて、周りを見渡しました。
すると、「おいしい?」と声をかけている看護師がいないことに気づきました。
食事とは何だろう。
なぜ、私は「おいしい?」と問うのだろう。
何を知りたくて、
何に気づきたくて、
その言葉をかけているのだろう。
日常の中で、誰かが嬉しそうに、美味しそうに食べている姿を見ると、
私はとても嬉しくなります。
それと同じなのでしょうか。
それとも、少し違うのでしょうか。
患者さんには、治療の中で“転機”があります。
専門的に言えば、異化より同化が進む時期。
わかりやすく言えば、快方に向かい始める瞬間です。
患者さんのそばにいるとき、
私はいつも“看護師でいること”を意識しています。
気を抜けば、ただの“わたし”になってしまう。
だから「おいしい?」という問いの奥には、
看護師として知りたい何かがあるのだと思います。
長く看護をしていると、発見があります。
教科書に書いてあるのかもしれません。
けれど、目の前で見てきた実感があります。
食事が“治療”ではなく、“おいしい”と感じられるようになったとき、
そこに生きる力が戻ってくる。
「おいしい?」で知りたかったのは、
今この瞬間の、その人の力でした。
食べることは治療。
食べることは回復。
食べることは、生きること。
けれど私は、こうも思います。
“食べる”のはじまりは、
“食べたい”ではないのかもしれない。
食べ物を、食べ物だと認識できること。
それが、はじまりなのではないかと。
そこに気づいたとき、
当たり前が当たり前でないことが、自然にわかるのかもしれません。
食事の時間に、私が見ているもの。
それは、今この瞬間の患者さんの「生きる力」でした。
あなたは、食事の時間に、何を見ていますか。


